罪と罰。

人を苦しみから救う 神様は 居る、と思います。
そして 人に罰を 与える神様も また 居ると思うのです。
付き合って22年になる 友人の お父様は
病床で 鼻から栄養を取り、命は 風前の灯…
出来る 治療は全て終えて、食事も 嚥下障害の為に 何日も前に stopされた状態…
友人と ご兄弟が、交代で 見舞えたのは ほんの少ない期間。
このコロナの状況で、今は面会も 一切 禁じられているそうです。
つまり、次に病院から連絡が入る時は、危篤になった その時であると いう事です、むごい事です。
でも、というか やっぱり、と私は思うのです。
決して短くない友人との付き合いの中で、何度となく
ご家族の話しを聴いて来ました。
なぜ お母様が 早くに亡くなったのか…
自ら死ななければ ならなかったのか…
人は夫の 心ない言葉で 傷つき、死を選ぶ事もあるのだと、人は言葉で人を死に追い詰める 危うさがあるのだと、知るべきです。
私からすれば、何と ひどい父親かと、挨拶くらいは何度かした記憶はあるけれど、心の中では いつも複雑に思っていました。
そんな父親を 恨みに思う事もあろうかと思うのに、友人は 父親を長年引き取り 家族と暮らし、名医が居ると聞けば 東京まで 連れて行き、私には まず出来なかったであろう努力をして来た。 何という 父親孝行な友人。
友人と暮らし始めた頃の お父様は 社交ダンスに通い、異性の女性とも 付き合って楽しみ、妻の死は自然に起きた事、過去の事、くらいにしか思っていない様に見受けられて 私には理解 出来なかった。 それどころか 1度も妻の事を思い出す事なく 生きて来たんだろうなぁ、と感じられた。
この世に、 神様は居るのか…
こんな むごい事を 何とも思わず 、気楽に幸せに生き長らえていられるとは、何という不公平なのか?と思っていた。
お父様が病に伏すまでは、あちこち身体を悪くされながらも、デイケアで 楽しんだり まだまだ自由に動き回れていた。
気弱にならずに、生きる事に執着 出来る人というのは
こうも 元気に過ごせるものか、と私は よく感心したものだ。
が、しかし あちこちの病院に連れて行ってもらい、治療も、 し尽くした今、ベッドの上で ただ横たわっているしかない。 何日も前に 最後に会った時は、友人の声は 脳に届くらしく、手も強く、握り返して来る、でも眼は見えず、くちもきけない、話せない状態だった。 しかもコロナ対策て 何日も家族とは会えずに ひとり苦しみに 耐える状態…
これが地獄でなくて何なんだろう。
哀しいかな 意識は どうやらハッキリしているというから、まさに生き地獄。
だけど、と また 冷たい私は思うのです。
自ら命を絶つ事しか出来なかった あなたの妻は
さぞ その何倍も寂しく、苦しかったでしょう、と思ってしまうのです。 これは 人として最後に神様から受ける罰なんじゃないか…
今となっては 友人の お父様の気持ちを知る由もありませんが、そして まさか友人に 私の考えは言えませんが、せめて 最期は苦しや痛みが消えてくれます様に、と友人と共に話しをして 終わりました。
帰宅して ひとり、こんな冷たい事を思う自分も
また、間違いなく 地獄に落ちるんだろうなぁ、とぼんやり考えながら 、ホッケを焼いて 冷奴にネギを散らして …いつもの晩ご飯が終わりました。